連合北大阪地域協議会 安藤 鉄夫
沖縄ヘは平和行進にしか参加したことがなく、今回初めて「2019 連合平和行動in沖縄」に参加させていただきました。
沖縄については、これまで太平洋戦争で唯一地上戦となり、軍人以上に住民が犠牲になったことや米軍基地に起因する事件や事故が繰り返えされている等の知識はありましたが、今回の平和行動に参加して、胸を締め付けられるような事実に衝撃を覚えました。
6月23日伊丹空港を出発して沖縄に向う途中、梅雨前線の影響で飛行機は激しく揺れるなど、先が思いやられる状況の中、激しい雨の降る沖縄に到着しました。
連合の平和行動は、沖縄慰霊の日に開催されるということですが、平和行動(慰霊の日)に雨が降ったのは30年ぶりとのこと。
そのような中で、最初に対馬丸記念館を訪れ、目にしたものは「老・幼・婦女子たちが県外に疎開するよう指示され、学童集団疎開の子供たちをたくさん乗せた対馬丸は、8月22日22時過ぎに魚雷攻撃で、乗船者1,788名のうち約 8 割の人々が海底に消えてしまった。」というもの。
真夜中の海に放り出された乗船者たちが恐怖に身を震わせながらも、いかだに必死にしがみつき生き延びようとした様子や対馬丸の沈没した事件については決して語ってはいけないと、厳重な箝口令が敷かれていたことを裏付ける手紙、また犠牲者が生きた証である遺品や遺影が大切な家族や友達を失った人々の大切な思い出として展示してあり、改めて戦争の恐ろしさと平和の尊さを考えさせられました。
その後、沖縄空手会館に向かい、連合が慰霊の日に合わせて開催する「平和オキナワ集会」に参加、全国より1,274人の仲間が集まり、2月の県民投票で辺野古新基地建設反対の民意が示されたことを踏まえ、「沖縄との丁寧な対話」や「米軍基地の整理・縮小」「日米地位協定の抜本的見直し」を政府に求める「沖縄からの平和アピール」を採択、連合沖縄の大城会長は「沖縄の基地は74年前の戦争のさなかに米軍が占領し基地を造り、そして今沖縄に新しい基地を造ろうとしている。県民は県民投票で圧倒的な反対の民意を示したが、安倍政権は民意を無視している。憲法や民主主義、地方自治を踏みにじっている。沖縄の現状を皆さんに知ってほしい」と訴えられました。
2日目のピースフィールドワークでは、「ひめゆりの塔」「魂魄の塔」「糸数アブチラガマ」「平和記念公園」を見学、数々の写真や残された文章を実際目にすると、戦争の悲惨さ・残酷さ、沖縄の人々がこれだけ深い心の傷を負っていたのかを知り、自身の無知さ加減を思い知らされました。
特に糸数アブチラガマは、全長270mの自然洞窟で日本軍の地下陣地として整備されたが、戦況が悪化すると南風原(はえばる)陸軍病院の分室として、およそ600名の負傷兵が運び込まれ、「ひめゆり学徒」が看護にあたっていた。電気もない真っ暗なところで負傷した兵士の破傷風を防ぐため、麻酔もせずに腕や足を切断する女子学生の気持ち、撤退命令の後、青酸カリを持たされ、暗闇に取り残された重症患者たちの苦しさと無念さを想像すると胸がはち切れそうな思いになりました。
そのような状況のなか、空気穴から漏れてくるほのかな明かりを頼りに夜明けを知り、生きる希望をつなげ、45人の住民と7人の負傷兵が奇跡的に生き抜いたことにとても感動し、最後まで希望を捨ててはならないことを教えられました。
最後にガイドさんは「このガマで考えてほしいのは『あきらめないで生きること』の意味です。『命の大切さ』を言葉にするのは簡単ですが、実感することは難しい。辛いことがあるとそこから逃げてしまいたくなる。私たちの願いは『もっと頑張れるかもしれない』と思ってもらうこと、沖縄戦を追体験できるこの場所を訪れることで、二度と残酷な戦争を起こしてはならないと感じ取ってほしい」と訴えておられました。
最終日は、「佐喜眞美術館」「辺野古新基地建設の埋立地」、道の駅かでな展望台からの「嘉手納基地」を視察して平和行動を終えました。
終戦後74年経った今も、沖縄に暮らす人々にとっては戦争被害が続いており、事実の恐ろしさ・残酷さを改めて認識しました。
今回、沖縄にはわずか 3日間の滞在であり、ほんの一部しか見学出来なかった私たちが、沖縄戦や戦争について語るのはおこがましいとは思いますが、戦争により甚大な被害にあった地を訪れ、現状を知り、戦争の悲惨さを語り続けることの大切さを知り、未来に向けて、連合全体で平和を訴えていく平和行動の意義と大切さを実感することができ、組合活動のすばらしさを教えていただきました。
今なお平和を阻害する様々な問題が各地で起こっていることに対し、無関心にならず人任せにするのではなく、自分たちでも出来ることを真剣に考え、取り組んでいきたいと実感しました。
今回、平和行動に参加させていただき本当にありがとうございました。