72年前の太平洋戦争の沖縄戦で亡くなられたすべての人々に心から追悼の意を捧げます。
私、個人的には産別において何度か平和の取り組みということで、沖縄には来ております。
その度に平和のありがたさや戦争の悲惨さを痛感し、戦争は絶対に起こしてはならないと思います。
さらに沖縄においては、米軍基地があるために様々な問題が発生し、なかなか改善できていないのが現状であることも再認識しました。
今後も引き続き、戦争の悲惨さや平和の尊さを学び伝えていきたいと思います。そのためにも私たちが出来ることを実行し、引き続き連合や産別とともに平和運動に取り組んでまいります。
連合豊能地区協議会 議長 重澤 嘉男
戦後72年を過ぎた今も国土面積のわずか0.6%にすぎない沖縄県に、全国の米軍基地の70.6%が集中しており、なかでも市街地に隣接し世界一危険といわれる普天間基地の移転先を県内の辺野古が唯一の解決策と日本政府が政治的に決めつけ、県民の思いや願いを聞くことなく強硬に名護市の辺野古沿岸部を埋め立てる護岸工事が進められている最中の取り組みとして、連合大阪24名の一員として6月23日~25日にかけて、「平和行動in沖縄」に参加してきました。
初日の23日には、沖縄県において「慰霊の日(休日)」と制定されているこの日、全国の仲間1,100名とともに浦添市「てだこホール」で開催された平和集会に結集し、平和式典において「戦争の悲惨さ、平和の尊さ」を学び、今後も粘り強く平和運動を推進するとする「沖縄から平和アピール」を採択するなど、平和とは・戦争とは何かを知り未来に向け何ができるか行動していくことを誓い合いました。
2日目には、地元の同意なく埋め立てが進む辺野古地区を見学しました。現地瀬高の浜では、非暴力での反対運動や「祈りの舞い」が行われている中、前日の「慰霊の日」のみ休止した工事を朝8時から再開しているとの説明を受けるとともに工事の現場を目の当たりにし、国の非情さを痛感しました。その後、市街地の真ん中に構える嘉手納基地・普天間基地を見学し、また、太平洋戦争末期に米軍が沖縄へ上陸した最初の地である読谷村の上陸地点から1kmにあり、避難していた住民85人が犠牲になったチビチリガマで献花を行いました。
あらためて戦争の悲惨さ、そして、今もなお沖縄では、生命・人権・財産が脅かされ続けていることを認識し、行動への思いを強くして夕刻からの県庁前県民広場での集会に結集するとともにデモ行進で訴えていきました。
この行動を通じ、戦時下の状況から「軍隊は住民を守らない」こと、今も沖縄では基地があるゆえに起こる事件・事故に脅かされていること。陸上だけではなく漁業や航空経路さえも米軍の管理下にあること。そして、米軍・米兵が有利にあつかわれる「法の下の不平等」がある日米地位協定は全国どこでも起こりうる問題であること。日米安保といま脅かされる日本国憲法との密接なかかわりから、基地問題は日本全体の課題であることを学習し、今こそ、現地沖縄だけではなくオールジャパン・オールワールドへの取り組みへと拡げていかなければならないと再認識しました。そして、この取り組みは「勝つまでやらなければならない」と強く感じさせられました。
引き続き、平和を希求する行動については、不断の取り組みとして拡大・強化していかなければならないと考えるものです。
豊中地区協議会 事務局長 田中 伸生