6月23日から25日までの3日間、2018平和行動in沖縄に参加しました。
まず23日は、那覇に到着後、昼食会場で沖縄問題についてDVD鑑賞を行いました。昼食後に浦添市民体育館で開催された連合「2018平和オキナワ集会」に参加しました。全国から多くの連合の仲間が参加する、熱気あふれる集会でした。
第一部の講演では、元沖縄タイムス社論説委員でフリージャーナリストの屋良朝博氏に沖縄基地問題について講演を受けました、戦後70年以上が経過してもなお沖縄に米軍基地が存在する現状や安全保障と沖縄との関係性等を講演されました。
第二部の式典では、主催者を代表して神津連合会長から『米軍基地の整理・縮小と日米地位協定の抜本的見直し』を訴え、参加者に対し沖縄で見て感じ、学んだことをしっかりと地域や職場へ持ち帰り、伝え、発展させていく取り組みをお願いしたい、とあいさつがありました。
次に集会開催地である沖縄を代表して大城紀夫連合沖縄会長から、米軍基地問題は日本全体の問題であり、米軍基地問題を自分たちの課題として、各都道府県知事に対し日米地位協定の見直しに向けた行動をお願いしたい、と訴えがありました。
来賓あいさつ、平和メッセージ、ピースリレーの後、沖縄からの平和アピールがあり、集会の参加者全員で「米軍基地の整理・縮小」と「日米地位協定の抜本的見直し」を求め世界の恒久平和の実現に向けた粘り強い運動を推進する決意を再確認しました。
24日は、ピースフィールドワークの米軍基地コースに参加しました。連合沖縄青年委員会の方々がピースガイドとして各所で説明してくださいました。また大変詳しい資料の配布があったので、読み返すことでピースガイドの説明が思い起こされ、大変参考になりました。
多くの連合の仲間が集まった沖縄バスの車庫から、まず名護市の瀬嵩の浜に向かいました。瀬嵩の浜から大浦湾を挟んで辺野古の新基地建設を進めている現場を見学しました。この美しい海の上に無数のオレンジ色のフロートが浮かぶ光景に違和感を抱くとともに、海を埋め立ててまで基地を作って良いものか強く疑問を感じました。
次に道の駅かでなの屋上展望台から、嘉手納町の面積のうち約80%以上を占める嘉手納空軍基地の飛行場を見学しました。日曜日だったので航空機はほとんど飛んでいなかったのですが、道の駅の中に資料展示室があり、トラックと旅客機と戦闘機のエンジン音をヘッドホンで聞き比べました。やはり戦闘機の爆音は大きく圧倒されました。
昼食をはさんで、チビチリガマで、ガマで起こった集団死について学習し、犠牲になった方々に黙祷を捧げました。ガマの中で極限まで追い詰められた状況により、同じ地域の人同士が殺しあうという悲劇は、とても言い表せるものではありません。
最後に嘉数高台に登り、展望台から普天間基地を見学しました。滑走路横には整然と並ぶオスプレイが見えました。
嘉手納基地でもそうでしたが、普天間基地も基地のすぐそばに住宅が密集している、と驚きました。沖縄の軍用機事故のニュースが続いていますが、遠く離れた大阪からではわかりえない、沖縄の人々が安心、安全に暮らすことができない現実を実際に見ることができました。
25日は、連合大阪独自の平和行動を行いました。
まず対馬丸記念館では、学童疎開船・対馬丸が九州に向かう途中、米軍潜水艦に撃沈された事件について学習しました。館長さんから、子どもたちを疎開させた理由は、沖縄が戦場となり危険だからというだけでなく、日本軍の食糧確保のためということ、また対馬丸が撃沈された後、事件について「決して語ってはいけない」と厳重に箝口令が敷かれたことなど、説明がありました。
次に佐喜間美術館では、丸木位里・俊が描いた「沖縄戦の図」を鑑賞しました。美術館の壁面一杯に展示された「沖縄戦の図」は圧倒的な迫力で語りかけてくるようでした。美術館の屋上からは普天間基地がすぐそばに見え、軍用機の爆音がひっきりなしに聞こえました。また美術館すぐ横にフェンスがあり、基地の存在を否応なしに見せつけられました。
3日間の沖縄平和行動に参加させていただき、沖縄について知らないことばかりでありましたが、沖縄で見て、聞いて知ったことを職場に持ち帰り、少しでも多くの人に伝えていきたいと思います。ありがとうございました。
連合大阪北大阪地域協議会
池田市職員組合 髙橋 繁生