2018平和行動in広島に参加して (2018.09.06)

 

 これまで、原水禁広島大会への参加をしたことは数回ありましたが、連合大阪の平和行動に初めて参加しました。

 

 1日目のピースウォークでは、平和記念公園の中の慰霊碑ひとつひとつ説明を受け、とてもわかりやすく、広島の人たちの思いが伝わってきました。夕刻からの連合2018平和ヒロシマ集会では、高校生平和大使の取り組み報告があり、若い人たちが平和について取り組んでいる姿を見て、私たち大人も、もっとしっかり平和について考えて、行動しなければいけないと感じました。

 

 

 2日目の海上自衛隊第1術科学校では、何を学ぶのだろうと思っていましたが、資料室に展示されていた特攻で亡くなったたくさんの若者の写真と遺書を見て胸が詰まりました。

 

 どれも流れるようなきれいな字で、国のためになることができる喜びが書かれていました。そう教えられて育ってきていれば、本当に心からそう思ったのかもしれませんが、その手紙を受け取った両親はどう思ったのだろうと思いました。元気な姿で帰ってきて欲しかったのではないでしょうか。大人の考え方ひとつで、純粋な若者は、それが真実だと思って行動するのでしょう。両親が「お国のためにがんばってこい」と送りだせば、両親を喜ばせたいと思って行動するのでしょう。私たち大人は、「時代がそうだった」と時代のせいにせず、しっかり自分で、平和のために何をするべきか、考えて行動しなければ、同じ過ちを繰り返すのではないかと感じました。

 

 

 また、施設内を案内してもらっていた時に、隊ごとに近くにある山を何分で登れるか平均タイムを競っている。これは1番になれたからすごいというわけではなく、隊の中で遅い人がいれば、ひとりずつ2秒でも早く走れば、タイムを上げることができたのではないか、

そういうことを考えて走っていたか、問うものだと言われました。戦時中であれば、早い個人がすばらしいとなっていたけれど、今は違う。という話も印象に残りました。

 

 大阪に戻ったら、自分のできる形で、今回感じた事を伝えていきたいと思いました。

 

 

 豊中市職員組合 石田信子


 今回初めて連合大阪の平和行動に参加させていただきました。職場が小・中学校なので、平和学習の一環として、修学旅行に同行し広島には何度か行ったことがありましたが、平和記念公園内の慰霊碑について細かく説明をしていただいたことで、より深く学ぶ事ができました。中でも原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑にあった短歌が今の仕事現場と重なり、とても胸が痛みました。

 

 夕刻の集会では、高校生平和大使の皆さんや「ビリョクだけどムリョクじゃない」活動報告を聞き、若い方々の平和に対する思いや取り組みを知り、大人の私たちがすべきこと、子どもたちに恥じない行動のあり方を、改めて考えるきっかけを与えていただきました。

 

「原爆を許すまじ」の歌は、子どものころに母親が歌って聞かせてくれた歌だったので、戦争を経験した親から私たちが受け継いで次の世代へ伝えていかなければ、と思いました。

 

 

 2日目、初めて「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」に参加しました。毎年ニュースでしか見たことがなかったのですが、会場のまわりに公園内を埋め尽くさんばかりの人の数に、うれしさと、悲しさを感じました。

 

 

 午後に訪れた海上自衛隊の見学では、ここで自分が学ぶべきことを思案しながらの学習会でした。訓練中の幹部候補生とすれ違いましたが、若い彼・彼女たちが目指すものがなんであるのか、守りたいものが何なのか問うてみたいと感じました。資料室では多くの歴史を感じさせる展示品の数々を見ました。その中に、特攻隊の写真や名前と一緒に遺書が数多くありました。若い特攻隊写真と丁寧に美しい字で書かれた遺書のひとつひとつを読んでいるうちに、人間として、母として、親としてこのような手紙を書く人も受け取る人も、作ってはいけないと強く感じました。書いた少年たちの、受け取った親の気持ちを考えると、胸が痛み、涙があふれました。

 

 

 今回の平和行動に参加して、平和であることのありがたさや平和であり続けることの大切さを痛感しました。「平和への誓いを」引用し報告を終わらせていただきます。

 

 

        人間は、美しいものをつくることができます。

         人々を助け、笑顔にすることができます。

      しかし、恐ろしいものをつくってしまうのも人間です。

                (中略)

      私たちが学んで感じたことを、伝える伝承者になります。

 

 

豊中市職員組合 勢喜 淑子