2018平和行動in沖縄に参加して(2)(2018.08.01)

 沖縄の平和行動に参加するにあたり、行程の冒頭にDVDを鑑賞しました。DVDでは、太平洋戦争末期、激戦の地となった沖縄で生き延びたおばぁが、当時の暮らしや戦況を生々しく語っていました。 おばぁはこの時に子どもを亡くしており、その悲しみが深く刻み込まれているため、73年経った今でも当時の記憶は色褪せることなく残っており、語られる言葉から戦争の悲惨さが伝わってきました。

 今回の平和行動で特に印象に残ったのが「チビチリガマ」でした。鍾乳洞(チビチリガマ)に非難していた住民が、米軍の包囲を受けて集団自決をした惨状の地。周辺道路から7~8mほど階段を下ったところに少し開けた空間があり、横穴へと入っていくようになっているのですが、入口を覆い隠すように木々が生い茂っているため、日の光はわずかしか差し込まず、辺りには何とも言えない冷ややかな空気が漂っていました。

 

 

 ピースガイドの方から「投降を求めた米軍を『鬼畜』とし、捕まるぐらいなら自害することを選んだ」「自ら自害できない者は、家族や隣近所の者同士で殺し合った」「ためらいがあるため、刃物で切っても傷が浅く、苦しみながら死んでいった」と静かに語られましたが、周囲の雰囲気と相まって、私たちに重くのしかかるように感じました。その後訪れた佐久間美術館では、チビチリガマの惨劇を描いた絵画を鑑賞しましたが、今でも目に焼き付いているぐらい衝撃を受けるものでした。

 

 

 戦争の一番の被害者は、誰にも危害を加えることもせず、平穏な暮らしを営む一般の人たちであり、今回の平和行動では戦争の無益さを強く感じました。現在、日本が抱える米軍基地問題は、「平和」の延長線上にあるとも「戦争」の延長線上にあるとも考えられるが、戦争の爪跡が未だ残る沖縄の地がその対象となっていることが何よりも看過できない問題です。同じ日本人として、沖縄の人たちと同じ目線・同じ温度で捉え、一人ひとりが考えなければならないと、改めて気付かせていただきました。

 

 

 冒頭に鑑賞したDVDの最後に、「私も高齢だから、戦争の語り部を引き継いでいかなければならない」とおばぁが語っていましたが、それが自分たちに向けられているメッセージとして受け取り、一人でも多くの仲間に伝えていく所存です。

 

 

連合大阪 豊能地区協議会 議長

ダイハツ労働組合  柴田 直希